【専門家が世界を歩く】海外医療と安全の現地観察ノート Vol.3|ブラジル・サンパウロ編
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こんにちは。今回は、「専門家が世界を歩く」シリーズの第3弾。ブラジル最大の都市であるサンパウロを訪れた際の体験を、セキュリティの専門家としての視点を交えながら、少しユーモアも添えてお届けします。日本の皆さまが、南米に出張・駐在することになったときに役立つかもしれない、サンパウロのリアルな世界をご紹介します。
「専門家が世界を歩く」シリーズの第2弾(ナイジェリア・ラゴス編)はこちらからご覧いただけます。

サンパウロに到着したのはお昼前でした。長時間のフライトを終え、ターミナルを出た瞬間、強い日差しが肌に刺さるように感じました。日本の秋とはまるで別世界です。空港周辺は静かで、街の喧騒はまだ遠く、聞こえるのはタクシーのエンジン音と時折響くアナウンスだけでした。ここはグアルーリョス国際空港(GRU)。市街地からは車で40分から1時間の距離にあります。
ホテルがあるパウリスタ通りへ直行しました。車窓から見える景色は、整然とした高速道路から、徐々にビル群へと変わっていきます。やがて街の中心部に近づくと、カフェのテラス席で談笑する人々やジョギングする姿が目に入り、「ここが本当に危険な都市なのか?」という疑問が頭をよぎりました。

パウリスタ通沿いに設置されたCCTV
しかし、専門家としての視点は、「目に見えるものが全てとは限らない」ということです。街が整然としていても、統計的には犯罪発生率が高い現実があります。そして、パウリスタ通りに到着して最初に発見したのは、ブロックごとに立つ警察官と、通り沿いに並ぶおびただしい数のCCTV(監視カメラ)でした。
第一印象は「警戒が非常に強い」というものです。これは単なる安心材料ではなく、その裏返しとして深刻な犯罪リスクが存在するからこそ必要とされている警戒態勢とも見て取れます。

パウリスタ通りで警戒に当たる警察車両
ホテルに荷物を置いた後、私はすぐに日本総領事館を訪問しました。インターナショナルSOSのセキュリティの専門家は現地の最新の情報を収集するために、実際に領事館など関係機関を訪問し、自分の目で実際に確認するフィールド調査を行っています。
サンパウロの日本総領事館でも、現地の治安状況について、非常に親切に説明していただきました。総領事館の取り組みは、日本政府として企業駐在員を守るための情報提供と支援であり、心強い存在です。
今回の訪問では、総領事館が現地警察とのパイプを持ち、定期的に情報収集を行って独自の視点で治安を分析し、それを邦人が安全に過ごすための注意喚起等に生かしていることが感じられ、とても心強く感じました。
さらに、この説明を通じて分かったのは、パウリスタ通りで見た警察官の多さは特別な理由によるものではなく、普段からこの程度の警戒態勢が敷かれているということです。これは、サンパウロ市が治安対策の一環として行っているものであり、常勤の警察官のみならず州警察の非番警察官に報酬を払って警戒要員として増員配置しているとのことでしたが、こうした施策からも市が治安改善に本気で取り組んでいることがうかがえました。

サンパウロ州は「危険」というイメージを持たれがちですが、実際の治安統計は長期的に見ると大きく改善しています。サンパウロ州政府の治安当局(SSP-SP)が公表しているデータによれば、殺人発生率は2001年以降一貫して減少し、現在はブラジル国内で最も低い水準を示す州のひとつです。
2024年のサンパウロ州の殺人率は、人口10万人あたり約6件前後と報告されており、これは過去24年間で最も低い水準です。2000年代初頭には同指標が30件以上だったことを考えると、長期的な改善は明らかです。
この水準は、国際比較でも米国(約5〜6件)、チリ(約6件)、ロシア(約6〜7件)と同程度であり、日本(約0.2〜0.4件)と比べると依然として高いものの、「極端に危険」というイメージとは異なる実態が見えてきます。
この背景には、警察改革や監視技術の導入、社会政策の進展、さらには犯罪組織PCC(Primeiro Comando da Capital)によるいわゆる裏社会の秩序化といった複雑な要因があります。PCCは、サンパウロ州を拠点とするブラジル最大級の犯罪組織で、麻薬取引や資金洗浄、武器の不法取引などに関与しています。
1990年代に刑務所内で結成され、一部地域では非公式な支配力を持ち、治安や住民生活に影響を及ぼしています。街の至るところに設置されたCCTVや、ブロックごとに配置された警察官の姿は、こうした改善をさらに加速させる兆しでもあります。
しかし、殺人発生率が下がったからといって安全になったわけではありません。他人の現金や、金銭的価値のあるものを奪う・壊す・隠す財産犯や誘拐など、依然として深刻な脅威が残っています。

サンパウロのリスクマップ(出典:インターナショナルSOS)
暴力犯罪は減少しましたが、財産犯は依然として高水準です。特に携帯電話、腕時計、指輪といった所持品を狙う窃盗や強盗は頻発しており、これは外国人に限らず、地元住民にも広く警戒が呼びかけられています。
サンパウロでは「スマホを見せる=リスクを背負う」という認識が常識です。実際、歩きながらスマホを操作する行為は、犯罪者に「どうぞ奪ってください」と伝えるようなものです。バーやレストランでの飲料への薬物混入による強盗も報告されているため、夜間の外出には特に注意が必要です。
さらに、短時間誘拐(セクエストロ・レランパゴ)も潜在的な脅威です。近年はPIXを悪用し、犯罪者が一般人を短時間拘束してスマートフォンで送金を強要する手口が増えています。PIXはブラジル中央銀行が提供する即時決済システムで、銀行のスマートフォン用アプリで銀行口座間の送金が可能です。利便性が高い一方、送金が即時に確定し取り消しができないため、犯罪者にとって都合の良い手段となっています。

まさかと思うかもしれませんが、空港のATMでスキミング装置が発見された事例もあります。空港は安全だと思い込みがちですが、油断は禁物です。ATM利用は銀行やホテル内に限定することが望ましいです。
市中心部では警察官やCCTVによる徹底した警戒が行われているものの、それでもパウリスタ通りでの犯罪に関する報道は後を絶ちません。さらに、警察官の配置は中心部から離れるにつれて徐々に減少し、郊外ではほとんど見られないという現実があります。
こうした事実は、治安対策には質的・量的な限界があるだけでなく、都市全体に均等に及んでいるわけではないことを示しています。つまり、渡航者にとっては自己防衛を徹底する必要性が一層浮き彫りになっているということです。特に、警察官による警戒が手薄になる郊外や夜間の移動では、その重要性はさらに増します。

サンパウロ空港のタクシースタンド(奥)とタクシー
移動手段の第一選択肢は、現地受け入れ先や会社が手配した車両です。これが最も安全で確実です。その選択肢がない場合には、空港やホテルのタクシースタンドなど信頼できる場所から利用する認可タクシーやライドシェアサービスの利用も可能です。
認可タクシーはライドシェアに比べて割高ですが信頼性が高く、バスレーンを通行できるためラッシュ時間帯などには重宝します。ライドシェアサービス(Uberなど)は比較的安全とされていますが、利用時にはドライバー情報を確認し、ルートがファベーラを通過しないことを必ず確認してください。ファベーラは都市の経済格差から生まれた非公式住宅地で、公的な治安維持が難しく、犯罪組織の影響を受けやすい環境です。
地域によって危険度は異なりますが、外部の方が安全に立ち入れる場所ではありません。ファベーラに限らず、特に夜間の移動や、知らない路地への立ち入りは非常にリスクが高いため、訪問や通行には慎重な判断が求められます。

公共交通機関は安全性の観点から推奨されません。自家用車の運転も避けるべきです。交通事故のリスクに加え、渋滞中のカージャックや雨季の洪水など、複合的な危険が存在します。
なお、移動の際にも忘れてならないのは携帯電話等の強奪です。後部座席にフィルムが張られている車両であっても、特に夜間は車内でスマーフォンを操作していると外から判別可能となります。停車時に突然窓ガラスを割ってスマートフォンを強奪し、また走行する車両を無理やり停止させてスマートフォンを要求する強盗なども多く報告されていますので、車両内であっても極力スマートフォンの使用を控えることが求められます。

セキュリティ専門家として、サンパウロなど南米地域に出張・駐在される方々への実用的なアドバイスを何点か挙げさせていただきました。
もちろん、これらはごく一例に過ぎません。南米地域に渡航される際は、現地のセキュリティ情報に精通した専門家に一度ご相談されることをお勧めします。

サンパウロには、日本の警察制度に倣った「KOBAN」が設置されています。小規模な警察拠点で、困りごとがあれば警察署より気軽に立ち寄れる場所です。覚えておいて損はない存在であり、場合によっては駆け込みも可能です。

今回の訪問を通じ、サンパウロは危険都市という単純な言葉では語り尽くせない場所であると強く感じました。この街には、世界の都市が抱えるリスクの縮図があります。経済の中心でありながら、社会格差が生む犯罪、テクノロジーがもたらす新しい脅威、そしてそれに対抗する治安対策。警察官の配置や防犯カメラの網は、改善の兆しであると同時に、都市が抱える課題の深さを物語っています。
企業の海外出張者・赴任者・駐在員の安全確保は、単なる個人の問題ではありません。それは、グローバルビジネスの持続可能性を左右する戦略的課題でもあります。準備と行動次第で危険は管理できますが、過信は命取りになります。サンパウロで学んだ教訓は、リスクをゼロにすることではなく、リスクと正しく向き合い、先手を打つことの重要性とも言えます。
世界はますます複雑になり、都市リスクは進化し続けます。だからこそ、私たちは「安全を設計する」という視点を持たなければなりません。そしてこの教訓は、サンパウロに限らず次に皆様が訪問する都市でも必ず役立つはずです。
インターナショナルSOSは、南米地域を含む世界各地で働く従業員の皆さまの健康と安全を、手厚くサポートしています。